第6回 時代を超える大人可愛い「マンダリネッツ」
幼い頃祖父母と一緒に暮らしていたせいか、よく一緒に口にした「甘いもの」と言えば、実はチョコレートではなくポケットに忍ばせておけるキャンディーだったことを覚えています。まだ小さかった私は白い包装紙に包まれた“いちごミルク味”のキャンディーが大のお気に入りでしたが、祖父母がご褒美にとこっそりくれるキャンディーは、決まってセロファンに包まれた醤油味の甘露飴、黒砂糖や抹茶味のものでした。
その頃のキャンディーといえば、流行のフルーツ味やコーヒー味、定番の甘露飴であっても、あめ玉を真ん中に置き包み紙の両端をきゅっとひねった姿がオーソドックスなスタイル。たとえそれが祖父母に親しまれていた大人味のものであっても、その可愛らしい姿に幼心が心惹かれたものです。
キャンディーを袋から取り出すとき「手がべたつかないように」とのアイデアから生まれた“ひねり包み”ですが、いつの間にか時代の変化とともに、デザインが豊かで、同時に品質も保てる四角い枕型へとその姿は変化していきました。今では小さな一粒のキャンディーが袋から離れて独りぼっちになってしまっても、名前のかかれたカラフルな包み紙をまとっているので、どこの誰なのか簡単に知ることができます。
でもそういった四角い包みのキャンディーは、どんなに素敵なデザインであっても、どこか味気なさを感じてしまいます。それは多分、私がひねり包みのキャンディー姿に懐かしい祖父母の思い出を感じているだけでなく、あの包みの真ん中がぷっくりと膨れ、両端がまるでリボンのようにひらひら、くしゅくしゅと、手を広げている姿が心のどこかをくすぐるからなのだと思います。
ベシュレの「マンダリネッツ」に対面したとき、そんな懐かしのキャンディーを思い出してしまうのはきっと私だけではないはず。大玉飴のようなコロンとしたまんまるチョコが、ビタミンカラーのオレンジの紙に包まって、ちょっと斜に構えながら箱の中で整列している姿は食べてしまうのが惜しいくらい可愛らしいもの。
その「マンダリネッツ」が生まれたのは、なんとベシュレの創業当時の19世紀後半。ヨーロッパは産業革命の流れを受け、チョコレートも近代化の幕が開け始めた頃のことです。1876年にスイスでミルクチョコレートが初めて作られ、1879年にはそれまでドリンクとして飲まれていたチョコレートが固形の“板チョコレート”として歩き始めた「チョコレート大革命」の時代。幕が開け、様々なキャストが登場し始める、そんな頃にベシュレの創設者であるエルンスト・ベシュレ氏がこのレシピの土台を考案したそうです。それは今から100年以上も前のこと。
近代化以前のチョコレートは、職人がカカオ豆を焙煎し、専用の器具ですり潰していく手作りのものでした。ですから今のように誰もが手軽に口にできるものではなく、ごく限られた貴族がお抱えのチョコレート職人に作らせたり、薬の一部として限られた薬局で取り扱われていただけのものでした。
誰もが憧れた甘いチョコレート。ですから近代化以降市民権を経たチョコレートは、その美味しさを求めていた人々の間で急速に広がっていったと言われています。貴族から社交場、市民へ。更にはヨーロッパからアメリカへと、20世紀に向かってチョコレートは世界の大海原に繰り出したのです。
そんな時代に生まれた「マンダリネッツ」。ベシュレの本拠地・スイスでミルクチョコレートが誕生してから20年余り経ってから作られた味は、甘いミルクの輪郭を残しつつ、更に大人の味わいを追求したものでした。それはまるでかつて貴族たちの間で愛されていたかのような、上品で繊細な味わい。シフォンドレスのようなふわり軽やかな香り、オレンジのお酒の美味しさをミルクのベールで閉じ込めた、大人のための一粒なのです。
創始者のエルンスト・ベシュレ氏はこの“ショコラ”にどんな思いを込めたのでしょうか。スイスのチョコレート職人としてのミルクチョコへの創造なのか、奥様に捧げる甘い香りなのか。いつの時代だってチョコレート職人はその小さな一粒に、大きな愛情を注ぐもの。100年以上の時を超え、小さな一粒が語りかけるささやきに、そっと耳を傾けてはいかがでしょうか?
ところで19世紀後半から20世紀にかけての日本は、明治の真ん中で文明開化のうねりが人々の生活を変えて行った時代。着物から洋服に代わり、ざんぎり頭が流行し、蒸気機関車が煙を上げながら駆け抜け、牛鍋なるものが巷を賑わせていました。そんな頃に生まれたチョコレートが今なお、可愛らしくオレンジ色に包まれながら大切に受け継がれているだなんて、何ともハイカラな話しじゃありませんか。
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